我々は日本人です。日本語という固有の言語を持っていて日本語以外の言語を知らずとも特に支障なく生活できています。そりゃ、たまに外国人に英語で話し掛けられて混乱することはあると思いますが、外国人に英語で話し掛けられることなど、外国語大学のキャンパス内や外国からの観光客の多い土地にでも行かない限り、年に数回程度しかありません。
ですから、ビジネスの現場で英語を使用する機会や旅行に出掛ける機会の多い大人ならともかく、学校以外で英語を使用する機会が皆無である子どもたちから「どうして英語を勉強しなきゃいけないの?」と疑問の声が上がるのは当然です。
内田樹氏は著書『呪いの時代』の中で『英語が要らない奇跡の国』と題した文章の中で、日本人は英語力の程度が社会的地位の向上に依存しにくい国であると主張しています。日本は島国であり、日本語以外の言語を使用する他民族との接触がほとんどなく、戦後、GHQからの支配を受けはしたものの言語統制をされることを免れました。国内のみを市場にするならビジネスの現場で英語力の瑕疵は問題にはなりませんし、日本語さえ巧みに使えれば立派な論文だったり、面白い本だったりを書くことができます。人口が減少していると言っても、まだこの国には1億人以上の買い手や読者がいるのですから。
現代はグローバル化が進んでいるから英語ができなければ国際社会で活躍することもできず致命的である、英語力の向上なしに日本の国際競争力の向上はない、などの論調もしばしば耳にしますが、僕は「語学力の高さ=国際競争力の高さ」とは思いません。国際競争力の高さを決めるのは、科学技術力とネゴシエーション力(放漫な自己主張を伴う交渉力ではなく、「歩み寄り力」)だと僕は思います。もちろん、技術を学んだり発信したりするのに英語力が必要にはなってきますし、国際間でのネゴシエイトの現場では英語を流暢に使えた方がいいでしょうが、翻訳者や通訳者の力を借りれば、英語力は国際競争の中でそれほどはハンディキャップにはならないはずです。
だから英語を学ぶ必要はない、と僕は結論付けるつもりはありません。社会的地位の向上や大人になってからの高い賃金を目的に英語を勉強するべきではないと言いたいのです。そして、英語を英語圏の人間並みに使用できるようになることだけが、英語を学ぶ目的ではないと言うことを言いたいのです。
Not everyone still has a place from where they’ve come, so you try to describe it to a city girl one summer evening, strolling together past heroic statues and the homeless camped out like picnickers on the grass of a park that’s on the verge of turning bronze.
アメリカの現代作家、スチュアート・ダイベックの『Hometown』からの一節ですが、第1文目の“a place from where they’ve come”に注目して下さい。この箇所ですが、どうがんばっても日本語に訳すことができないのです。なぜかと言うと、この英文に対応する日本語が存在しないからです。でも、何となく、「感じ」はわかります。‘where’は関係副詞で、その中で完了形が使われているのから、この関係詞が係る‘a place’は現在と関連性のある場所だということがわかります。今、自分が居る場所にやって来る前に居た、今の自分に関連性のある場所、これを日本語に無理やり当てはめると「故郷」という感じでしょうか。
僕はこの小説を初めて読んだとき、なるほど、と思いました。もちろん、日本語にうまく訳せない英文に冒頭から出くわして、いきなり頭を抱えることになったわけですが、タイトルの『Hometown』を見ると(これはそのまま「故郷」と訳せます)、すっと視界が開けてきて、それから故郷という日本語に対しても新たな世界が開けて来たのです。
日本語には「完了形」という概念がありません。完了という名前のせいか多くの日本人は完了形を動作の完了を表すというイメージを強く持ってしまうのですが、完了形という時制は過去からの継続、関連を伴う現在の動作・状態について用いる時制なのです。
僕は、日本語というのは「瞬間」「刹那」、それから「間」「空隙」に重点をおいた言語だと思います。
日本の自然美を表す言葉に花鳥風月という言葉があります。桜が盛大に咲くのも、鳥が枝に留まるのも、風がそよぐのも、満月が輝くのも、「束の間」です。美しくはあるけれども、そこに永久的に留まることがないものを古来より日本人は愛してきました。そして、花鳥風月が去ったあとの「空隙」さえも愛でてきました。一方、アメリカ人はグランドキャニオンなどの国立公園に代表されるような、長い年月の末に完成させた壮大な自然に美を感じます。
それは「故郷」という言葉の捉え方にも言えると思います。僕は故郷という言葉を使う時、ノスタルジーの感情を伴ってしまいます。かつてはそこで育ち、今はもうあの風景は取り戻すことができないもの、今はもう完全な形では残ってしまい、かつてはあったが今はその余韻を懐かしむことしかできないもの、それが僕の故郷と言う言葉の捉え方です。この考え方に同意してくれる人は多いのではないかと思います。
けれどもアメリカ人(あるいはスタインベック)の捉え方はそうじゃありません。故郷とは現在の自分の継続性の中に含まれるもの、当時の景色は失われたとしても、それは記憶となり経験も自らの血肉となり、一切合財が自分の中にある。完了形を用いることで、このような感じがするのです。
主語、動詞、主語、形容詞、助動詞、副詞などは日本語にも英語にも両方ある言語の要素ですが、例えば関係詞や冠詞は日本語にはなく、助詞や形容動詞は英語にはありません。用いる言語の違いは、すなわち、見えてくる世界の違いでもあります。
日本語以外の言語を学ぶことは、新しい世界の見方を学ぶことに繋がると僕は思います。その世界は英語を習い始めてすぐに見えてくるものではありませんが、学ぶにつれて視野が開けてくるはずです。その景色を楽しみにしながら根気強く学習して欲しいと思います。
武蔵小杉校 沙魚川 徹
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