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2007-03-08 塾長日記 1
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つれづれなるままに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆく よしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐる ほしけれ。
これは有名な吉田兼好が書いた徒然草の序段の文ですね。誰ですか?古典なんてつまらない、やっても無駄、と言ってる人は?あ!あいさつが遅れました。武蔵小杉校塾長の矢嶋です。本日より塾長日記なるものを始めることにしました。肩の力を抜いて、心に浮かんでくるとりとめのないことを、なんとなく書き綴っていこうと思います。それでみなさんに矢嶋の人間性が少しでも伝われば幸いです。さて、記念すべき第1回。何について書こうかと頭を痛めています。肩にだんだんと力が入ってます。あ!これじゃだめですね。それではリラックスして書こうと思います。文章のへたさはご勘弁を。
武蔵小杉校中3のみなさん受験お疲れ様でした。受験勉強が終わり、行き先が決まりほっと一安心しているでしょうね。私も一安心しています。4月からいよいよ高校生ですね。高校生になると今まで以上にいろいろなことを考え、いろいろなことに疑問を感じるようになるでしょうね。高校生のよくある疑問(というか文句ですかね?)。「何で○○やらなくちゃいけないの?」。○○は数学だったり、物理だったり、古典だったり。「今日は電流が受ける力のモーメントの問題をやるぞ!」と先生。「そんなの社会に出て役立つの?」と生徒。おっしゃる通り。社会に出たら、人間の力関係を理解する方が大切です。では、なぜ学ぶのか?この問いを考える時、私はある言葉を思い出します。それは私が中学生の時、理科の先生が授業中に言った言葉です。
みんな、橋を渡るところを思い浮かべてくれ。下を見るとめまいがするくらい高い。みんなが思い浮かべた橋の幅はどれ位かな?理論的には歩く幅があれば渡ることができる。平均台くらいの幅があれば。でもそれでは怖いよね。それで橋の幅を広げるわけだ。理論的には不必要な部分だ。その不必要な部分が多ければ多いほど安心して渡ることができる。その部分が学問だ。
私はこの時のことを今でも鮮明に覚えています。もう27年も前のことです。そういえば最近、高校の科目履修のことが問題になりましたね。受験に関係のない科目はやらなかったという問題が。教師たちが生徒の橋の幅を縮めていたのですね。
おい!この橋は危ないな。幅がせまくて怖くて渡れないぞ!
何ていう橋だ?矢嶋橋か・・・。
私もこれからずっと日々勉強です。
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カテゴリ:塾長日記 |
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